2005年11月11日
三木崎まで
弓削さんは50歳。若く見える。顔にしみのひとつもない。ヨットや住宅や店舗のデザイナーである。アメリカやオーストラリアそして日本で活躍している。アメリカの雑誌で仕事の内容などが写真とともに紹介されている。
互いに用件だけを話すので、互いのこれまでの人生についてはほとんど知らない。
弓削さんは仕事が速いらしく、すでに自宅となった三木浦の家の改装の設計をしていた。また別の紙に撤去するべき部分について詳細をプリントしていた。撤去を請け負う太田工務店の太田さんは「これやったら早い」と喜んだ。言葉だけでやりとりするより確実で誤解がないはずだ。設計図と撤去するべきところのメモも見ながら家の中を見て、さらに説明を聞けばよい。
さすが、プロ。撤去の打ち合わせは30分で済んだ。
「台所設備や大きいものは太田さんところに送ってもいいですか」
「了解」
太田さんの工場は敷地が広く、大きな倉庫もある。
「どう、榎本さん、ここの書斎から見える景色だよ。いいでしょ」
「うん、よい」
岸壁が見える。光る海、遠くの山並、行き交う漁船。邪魔するものは前になにもない。ここで毎日の様々な海の風景を見て過ごすことになる。雨の日も、台風の日もである。
互いに用件だけを話すので、互いのこれまでの人生についてはほとんど知らない。
弓削さんは仕事が速いらしく、すでに自宅となった三木浦の家の改装の設計をしていた。また別の紙に撤去するべき部分について詳細をプリントしていた。撤去を請け負う太田工務店の太田さんは「これやったら早い」と喜んだ。言葉だけでやりとりするより確実で誤解がないはずだ。設計図と撤去するべきところのメモも見ながら家の中を見て、さらに説明を聞けばよい。
「台所設備や大きいものは太田さんところに送ってもいいですか」
「了解」
太田さんの工場は敷地が広く、大きな倉庫もある。
「どう、榎本さん、ここの書斎から見える景色だよ。いいでしょ」
「うん、よい」
岸壁が見える。光る海、遠くの山並、行き交う漁船。邪魔するものは前になにもない。ここで毎日の様々な海の風景を見て過ごすことになる。雨の日も、台風の日もである。
まだ秋の昼下がりだった。時間はたっぷりあった。
「三木崎の方を見にいかんかな」
と提案した。中学生くらいの頃、歩いて行った。野原を通り抜けると広い平らな磯が広がっていた記憶があった。
「そんなところあるの?」興味深そうに弓削さんは言った。先日も三木浦に白砂のビーチがあるのを見つけて、得したような気分になった、と言っていた。
太田さんが、車で近くまで行けるから、と連れて行ってくれた。
山道をどんどん走っていく。すると狼煙場に着いた。そこに小山を利用した炭焼き窯がある。最近までウバメ樫を焼いていたのだそうだ。今度は下りとなってさらに車は走る。太田さんはここから歩くと言う。どうも昔行ったところと違うような気がする。
本格的な登山のようになってきた。あちこちに獣道がある。20分も歩くと
「運動場跡」と書いた立て札がある。ここに三木浦分校があったらしい。運動場といっても10メートル四方くらいのものだ。
石垣が現れた。
「ここは元住居やったんやで。ほれ、あの石は土台やろの」
「水はどこから来たんやろ」
と言っていると、向こうから男の人がやってきた。串本から来たという。こんなところになぜ、と思うが、その男性もまた私達に同行して、あれこれとこの遺跡の想像をめぐらしている。人がいたほうがなんだかんだ、と言えるから楽しいのだろう。風化したような地蔵さんがあった。水場もあった。道が、奥地方面と下地方面に分かれた。
こんな坂道の場所になぜ住んだのだろう、と訝る。不便であるのと、肉体がたいへんである、と私などは思う。
「海の方面が下地やで」
「そうやなあ」
しばらく住居あとを見ながら進むとゴロタ石の海岸が見えてくる。やや広い雑木林がある。
「ここはこの村の広場やったんやで」
海に出る。右手左手に大きな岩場がある。「船着場跡」と書いてある。石を見れば、鉄の手すりがはまるほどの穴が空いている。対岸に船で行き来していたのだろう。
「東南海大地震の時、津波をまともに受けたのかもしれんな」
「あの黄色い花は何?」
「たずらふきやないんかな」太田さんはよく知っている。釣りに凝っていた頃、ここによく来たおだそうだ。
「ほれ、えのちゃん、ここがイガミのポイントやで。あそこと、あそこも」
新たな地磯の発見に喜んだが、記憶にある磯と違う。あきらかに違うところだ。
「小さかったから大きくみえたんじゃないの」と弓削さん。
「う〜ん、でも違う」
まあ、よい。久しぶりに物を見て想像をいっぱいした。
神社跡もあった。庄屋跡もあった。リーダーがいて統率されていたのだろう。昭和19年ほどまで住人はいたのではないか。
帰りもあれこれと喋りながら上りの道を歩いた。串本の男性は僕より年上のように見えるが汗ひとつかかず歩く。弓削さんも、太田さんも。私だけがヒーヒー言っている。
「えのちゃんも、運動不足やのう」などと言われて、
「文しか書いてないでな」と言って、ようやく車のところに着いたのだった。
汗でびっしょりだった。
弓削さんは串本の男性を乗せ、私は太田さんとの車に同乗して、ここで弓削さんたちと別れた。
最近外に出る日が続いている。思えば仕事を通して、東紀州を歩いている。
尾鷲にいて尾鷲を知らないのだった。人間の行動範囲などはたかが知れている。あの遺跡の村の範囲ぐらいでも十分人間は生きていける。
しかし私はこの三ケ月ほどで、詳しくなった。
太陽の暖かい東紀州地域を今の私の感性から見ると、よいとこではないか、と思う。町中もよいが、農山漁村もよい。世間にさえ、負けなければ「よいとこ」になるのは間違いない。仕事はこの地域の人を相手に「するよりも鼻から全国を市場と考えればどんな仕事もある、というものだ。固定観念にとらわれないことだ。少なくとも弓削さん狭い三木浦の地域性や人との関係をたいして気にしていない。景色が優先だ。人間との関係などどこでも煩わしいものだ。
そんなことはいちいち気にしてられない。頭の中で越えてしまえばよいのだ。
逆でもよい。徹底して地を這う虫みたいな目になってもよい、と思う。たいしたことではない。
さて、弓削さんに、「熊野古道の茶屋が今度改装するらしいので、それをデザインしてあげてよ」
「茶屋?」
「そう。馬越峠を通った旅人は必ず寄る茶屋で、シンボル的な存在なんよ」
「おもしろそうだな」
こうやって弓削さんは自分の家を改装しながら、茶屋も改装することになるのかもしれない。移住第一号の仕事である。嬉しい。 日曜日、またここに来て、今度こそ釣るぞ。


「三木崎の方を見にいかんかな」
と提案した。中学生くらいの頃、歩いて行った。野原を通り抜けると広い平らな磯が広がっていた記憶があった。
「そんなところあるの?」興味深そうに弓削さんは言った。先日も三木浦に白砂のビーチがあるのを見つけて、得したような気分になった、と言っていた。
太田さんが、車で近くまで行けるから、と連れて行ってくれた。
山道をどんどん走っていく。すると狼煙場に着いた。そこに小山を利用した炭焼き窯がある。最近までウバメ樫を焼いていたのだそうだ。今度は下りとなってさらに車は走る。太田さんはここから歩くと言う。どうも昔行ったところと違うような気がする。
「運動場跡」と書いた立て札がある。ここに三木浦分校があったらしい。運動場といっても10メートル四方くらいのものだ。
「ここは元住居やったんやで。ほれ、あの石は土台やろの」
「水はどこから来たんやろ」
と言っていると、向こうから男の人がやってきた。串本から来たという。こんなところになぜ、と思うが、その男性もまた私達に同行して、あれこれとこの遺跡の想像をめぐらしている。人がいたほうがなんだかんだ、と言えるから楽しいのだろう。風化したような地蔵さんがあった。水場もあった。道が、奥地方面と下地方面に分かれた。
「海の方面が下地やで」
「そうやなあ」
しばらく住居あとを見ながら進むとゴロタ石の海岸が見えてくる。やや広い雑木林がある。
「ここはこの村の広場やったんやで」
海に出る。右手左手に大きな岩場がある。「船着場跡」と書いてある。石を見れば、鉄の手すりがはまるほどの穴が空いている。対岸に船で行き来していたのだろう。
「東南海大地震の時、津波をまともに受けたのかもしれんな」
「あの黄色い花は何?」
「たずらふきやないんかな」太田さんはよく知っている。釣りに凝っていた頃、ここによく来たおだそうだ。
「ほれ、えのちゃん、ここがイガミのポイントやで。あそこと、あそこも」
新たな地磯の発見に喜んだが、記憶にある磯と違う。あきらかに違うところだ。
「小さかったから大きくみえたんじゃないの」と弓削さん。
「う〜ん、でも違う」
まあ、よい。久しぶりに物を見て想像をいっぱいした。
神社跡もあった。庄屋跡もあった。リーダーがいて統率されていたのだろう。昭和19年ほどまで住人はいたのではないか。
帰りもあれこれと喋りながら上りの道を歩いた。串本の男性は僕より年上のように見えるが汗ひとつかかず歩く。弓削さんも、太田さんも。私だけがヒーヒー言っている。
「えのちゃんも、運動不足やのう」などと言われて、
「文しか書いてないでな」と言って、ようやく車のところに着いたのだった。
汗でびっしょりだった。
弓削さんは串本の男性を乗せ、私は太田さんとの車に同乗して、ここで弓削さんたちと別れた。
最近外に出る日が続いている。思えば仕事を通して、東紀州を歩いている。
尾鷲にいて尾鷲を知らないのだった。人間の行動範囲などはたかが知れている。あの遺跡の村の範囲ぐらいでも十分人間は生きていける。
しかし私はこの三ケ月ほどで、詳しくなった。
太陽の暖かい東紀州地域を今の私の感性から見ると、よいとこではないか、と思う。町中もよいが、農山漁村もよい。世間にさえ、負けなければ「よいとこ」になるのは間違いない。仕事はこの地域の人を相手に「するよりも鼻から全国を市場と考えればどんな仕事もある、というものだ。固定観念にとらわれないことだ。少なくとも弓削さん狭い三木浦の地域性や人との関係をたいして気にしていない。景色が優先だ。人間との関係などどこでも煩わしいものだ。
そんなことはいちいち気にしてられない。頭の中で越えてしまえばよいのだ。
逆でもよい。徹底して地を這う虫みたいな目になってもよい、と思う。たいしたことではない。
さて、弓削さんに、「熊野古道の茶屋が今度改装するらしいので、それをデザインしてあげてよ」
「茶屋?」
「そう。馬越峠を通った旅人は必ず寄る茶屋で、シンボル的な存在なんよ」
「おもしろそうだな」
こうやって弓削さんは自分の家を改装しながら、茶屋も改装することになるのかもしれない。移住第一号の仕事である。嬉しい。 日曜日、またここに来て、今度こそ釣るぞ。


