2005年12月06日
須賀利
須賀利
住宅地図を見ながら、踊り場のようになったところで、目当ての家がどこにあるかたずねた。好奇心いっぱいのおばあさん達の一人が代表して、
「あんたどこから来たんどな」
「尾鷲」
と答えると、「なんだあ、尾鷲か」みたいな顔をする。
「ここの階段も下からは遠くに見えるけど、歩いたら、なんにもやったで」
「そうやり。都会の人に比べたら、ちょっとのことやけどな」
「○○さんの家を探しとるんやけど」
と言うと、
「そこ、そこ、ほれ、あの石垣の家」
と教えてくれた。カメラを持っていたからなのか、
住宅地図を見ながら、踊り場のようになったところで、目当ての家がどこにあるかたずねた。好奇心いっぱいのおばあさん達の一人が代表して、
「尾鷲」
と答えると、「なんだあ、尾鷲か」みたいな顔をする。
「ここの階段も下からは遠くに見えるけど、歩いたら、なんにもやったで」
「そうやり。都会の人に比べたら、ちょっとのことやけどな」
「○○さんの家を探しとるんやけど」
と言うと、
「そこ、そこ、ほれ、あの石垣の家」
と教えてくれた。カメラを持っていたからなのか、
「あの家にでも住むんかな」
「いや、○○さんは知り合いで、売りたいって言うんでな。都会の人に来てもら
った方がよいやり。空き家にしとかんと」
「ええわい、ええわい。人が増えんとな。今日、ほれそこ、そこ、埼玉から75
歳の独りモンのおじいさんが引っ越してきたんやがな。私ら手伝うたんやがな」
見知らぬ声がしているのがわかったのか、近所から女性たちが出てくる。珍し
んやろか。
「空き家ばっかりやがな。ただでももろてほし家ばっかりやが」
「ただ?」
「そうじゃい。あんた、壊し賃でも二、三百万かかるどな。手で運ばんなんしな」
「そうやなあ」
「ほいなあそこに松の木があるやり、あそこにおっ月さんが昇るときれいなん
やわい。ムードあって、ロマンチックなんやわい。ええとこやで」
おばあさんの視線を追って右上を仰ぐと、大きな松の木が見える。思わず、月が浮
かんでいる風景を想像する。
別のおばあちゃんが、「ここは避難場所でもあるしな、ラジオ体操でもいっぱい来
るんやんな」
見たところ、手を伸ばせば、10人も入らない平面である。
「あんたらのいういっぱいって?」
「あはは、10人やな」
話をしていたら身なりがちょっと違う男性が通った。
「今日来た人やがな」
と教えてくれる。
私は声をかけた。「今日、引っ越してきたそうですね。釣りでも趣味なんですか」
「それしかないですよ。よろしくお願いします」
と言って立ち止まることはせず、通って行った。礼儀がきっちりしている。75
歳には見えなかった。
「魚らあ、釣れよかい」
と意地悪なことを言う。
「そんなことないで。オレは悪いけど、この辺でよう釣らせてもろうたがな」
「本当にい?」
「ここの人は趣味で魚を釣らんのやろ」
「そうやなあ」
「それにしても須賀利のさびれようはひどいな」
「診療所がないでな。わしら、歩けんようになったら子どもの家に行かんなん
のや。あの人は埼玉から来たけど、娘さんが尾鷲におるって」
「ここで喋っておれんようになるんやな。診療所があったら残るかな」
「う〜ん、やっぱ、歩くのはきつなるな」
「歩くのは今の日本まだどこでもきついどな」
「診療所があればな。もう何人もおるんやで。一人で死んどった、っていうのは」
「ふ〜ん」
こういう空気を嫌な人もいる。また好きな人もいる。嫌でも好きでもなく平気
な人もいるものだろう。さしずめ、私は平気である。
「えたれいわし」が干してある。私の大好物である。銀色に光っている。
「まだ脂がないなあ」
「脂ないほうがおいしいんやがな」
「いや、うっすらあるくらいが美味しいやで」
みな同意できないような顔をする。
眼下に須賀利湾。
人間はほんの座る程度の場所さえあれば、想像の世界を織り交
ぜながら生きていくことはできる。極端に言えばそうである。「住めば都」とはそ
ういうことを言うのだろう。
大きくとり残されてしまった須賀利。幼稚園、小学校、中学校は閉鎖。若い人が
住み始めたら、また復活するだろう。NHKの朝の連続小説「旅路」での舞台にも
なった。「おしん」でも登場した。「黒潮に乾杯」でも。陸の孤島だったから「巡
航船」で渡るのが映像に適したのかもしれない。この町の実状は風景としての映像
からではわからない。
「いや、○○さんは知り合いで、売りたいって言うんでな。都会の人に来てもら
った方がよいやり。空き家にしとかんと」
「ええわい、ええわい。人が増えんとな。今日、ほれそこ、そこ、埼玉から75
歳の独りモンのおじいさんが引っ越してきたんやがな。私ら手伝うたんやがな」
見知らぬ声がしているのがわかったのか、近所から女性たちが出てくる。珍し
んやろか。
「ただ?」
「そうじゃい。あんた、壊し賃でも二、三百万かかるどな。手で運ばんなんしな」
「そうやなあ」
「ほいなあそこに松の木があるやり、あそこにおっ月さんが昇るときれいなん
やわい。ムードあって、ロマンチックなんやわい。ええとこやで」
おばあさんの視線を追って右上を仰ぐと、大きな松の木が見える。思わず、月が浮
かんでいる風景を想像する。
別のおばあちゃんが、「ここは避難場所でもあるしな、ラジオ体操でもいっぱい来
るんやんな」
見たところ、手を伸ばせば、10人も入らない平面である。
「あんたらのいういっぱいって?」
「あはは、10人やな」
話をしていたら身なりがちょっと違う男性が通った。
「今日来た人やがな」
と教えてくれる。
私は声をかけた。「今日、引っ越してきたそうですね。釣りでも趣味なんですか」
「それしかないですよ。よろしくお願いします」
と言って立ち止まることはせず、通って行った。礼儀がきっちりしている。75
歳には見えなかった。
「魚らあ、釣れよかい」
と意地悪なことを言う。
「そんなことないで。オレは悪いけど、この辺でよう釣らせてもろうたがな」
「本当にい?」
「ここの人は趣味で魚を釣らんのやろ」
「そうやなあ」
「それにしても須賀利のさびれようはひどいな」
「診療所がないでな。わしら、歩けんようになったら子どもの家に行かんなん
のや。あの人は埼玉から来たけど、娘さんが尾鷲におるって」
「ここで喋っておれんようになるんやな。診療所があったら残るかな」
「う〜ん、やっぱ、歩くのはきつなるな」
「歩くのは今の日本まだどこでもきついどな」
「診療所があればな。もう何人もおるんやで。一人で死んどった、っていうのは」
「ふ〜ん」
こういう空気を嫌な人もいる。また好きな人もいる。嫌でも好きでもなく平気
な人もいるものだろう。さしずめ、私は平気である。
「えたれいわし」が干してある。私の大好物である。銀色に光っている。
「まだ脂がないなあ」
「脂ないほうがおいしいんやがな」
「いや、うっすらあるくらいが美味しいやで」
みな同意できないような顔をする。
眼下に須賀利湾。
ぜながら生きていくことはできる。極端に言えばそうである。「住めば都」とはそ
ういうことを言うのだろう。
大きくとり残されてしまった須賀利。幼稚園、小学校、中学校は閉鎖。若い人が
住み始めたら、また復活するだろう。NHKの朝の連続小説「旅路」での舞台にも
なった。「おしん」でも登場した。「黒潮に乾杯」でも。陸の孤島だったから「巡
航船」で渡るのが映像に適したのかもしれない。この町の実状は風景としての映像
からではわからない。


