田舎暮らしの先達たち
2006年11月29日
西川さん ブログ オープン
紀北町に移住してきた西川さんがブログをオープン。
僕らのような地元の人間からは見えないところが見えているので、結構執拗にブログを作るように勧誘した。そしてついに陥落。腰を上げた。
僕が手伝った。表紙に関してはいいのができたと思っている。得にオチョボ岩から望む写真がいいなあ。この風景は僕も地元生まれ、育ちだが知らない。
ぜひお立ち寄りを。天気がよければ西川さんが案内してくれるかもしれない。
http://blog.livedoor/inakadouraku
僕らのような地元の人間からは見えないところが見えているので、結構執拗にブログを作るように勧誘した。そしてついに陥落。腰を上げた。
僕が手伝った。表紙に関してはいいのができたと思っている。得にオチョボ岩から望む写真がいいなあ。この風景は僕も地元生まれ、育ちだが知らない。
ぜひお立ち寄りを。天気がよければ西川さんが案内してくれるかもしれない。
http://blog.livedoor/inakadouraku
2005年11月27日
アマゴ移住
川底がひっくり返っている
「去年の水害で、川底がひっくり返ってるわい。10年いかんでよ。失敗した、と思うとる」
私たちが九鬼の岸壁で釣りをしていたら、様子見に来たらしいその老人は言った。
「ここらあっちに投げられるだけ投げると鯛が来るで。底が深いですぐに糸が戻ってくるがの」
釣り焼けなのか、潮にさらされるのか、シワが多いが、手の指はきれいで、若い。
「御年は?」
「73歳」
「言葉は愛知県ですね?」
「そう」
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「去年の水害で、川底がひっくり返ってるわい。10年いかんでよ。失敗した、と思うとる」
私たちが九鬼の岸壁で釣りをしていたら、様子見に来たらしいその老人は言った。
「ここらあっちに投げられるだけ投げると鯛が来るで。底が深いですぐに糸が戻ってくるがの」
釣り焼けなのか、潮にさらされるのか、シワが多いが、手の指はきれいで、若い。
「御年は?」
「73歳」
「言葉は愛知県ですね?」
「そう」
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2005年11月05日
チロリン村
チロリン村
紀伊長島から赤羽川に沿ってどんどんと奥地に進む。道は途中でいくつも分かれる。えっ、まだ奥に家があるの? と思いながら進むと、こんな写真のような村が
現れた。江竜という辺鄙中の辺鄙である。
泥でできたような小屋がある。何かとのぞくと中はま新しい檜作りのサウナである。露天風呂も檜である。ソーラーで温かい湯が出るようになっている。
きっと主は50代くらいの人なのだろ、と思いながら、珍しくてのぞいていたらバイクで老人がやってきた。近所の人なのだろう。
まてよ、と思い、「ここの方ですか」と聞くと、
「そうだよ」と言う。


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紀伊長島から赤羽川に沿ってどんどんと奥地に進む。道は途中でいくつも分かれる。えっ、まだ奥に家があるの? と思いながら進むと、こんな写真のような村が
現れた。江竜という辺鄙中の辺鄙である。
泥でできたような小屋がある。何かとのぞくと中はま新しい檜作りのサウナである。露天風呂も檜である。ソーラーで温かい湯が出るようになっている。
きっと主は50代くらいの人なのだろ、と思いながら、珍しくてのぞいていたらバイクで老人がやってきた。近所の人なのだろう。
まてよ、と思い、「ここの方ですか」と聞くと、
「そうだよ」と言う。
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2005年08月28日
ぼちぼち行こう
ぼちぼち行こう
中邨 裕(55歳)
神谷 和子(?)
京都 → 九鬼
九鬼にログハウスを建て暮らしている人がいると人から聞いた。住所も名前もわからないからとりあえず九鬼に行って歩いている人にでも聞けばわかるだろう。数年前まで尾鷲と九鬼間は車を使えば50分かかっていた。今は10分である。
八鬼トンネルを抜けて九鬼の密集した町には入る手前で高校生が走っていた。その男子に聞くと、「都会から来た人なんていないと思います」 と言う。「ログハウスを建てているんだが」と問い直すと、「ああ、ログハウス、こっちです。僕は走りますからついてきてください。道の左側は海である。海はそのまま川になっていく。その川沿いをゆっくり彼を伴走するように走る。
右手に大きなログハウスが見えた。車が置いてある。二階の窓には布団がいくつも干してある。縁側のテラスに白髪混じりの男性が一人座って、新聞を読んでいる。
「ありがとう。中学生かい?」と言うと、「高校生です」「尾鷲高校?」「いえ、木本高校です」「そう、ありがとう。助かったよ」

ログハウス 前は小さな川 裏は滝続きを読む
中邨 裕(55歳)
神谷 和子(?)
京都 → 九鬼
八鬼トンネルを抜けて九鬼の密集した町には入る手前で高校生が走っていた。その男子に聞くと、「都会から来た人なんていないと思います」 と言う。「ログハウスを建てているんだが」と問い直すと、「ああ、ログハウス、こっちです。僕は走りますからついてきてください。道の左側は海である。海はそのまま川になっていく。その川沿いをゆっくり彼を伴走するように走る。
右手に大きなログハウスが見えた。車が置いてある。二階の窓には布団がいくつも干してある。縁側のテラスに白髪混じりの男性が一人座って、新聞を読んでいる。
「ありがとう。中学生かい?」と言うと、「高校生です」「尾鷲高校?」「いえ、木本高校です」「そう、ありがとう。助かったよ」
ログハウス 前は小さな川 裏は滝続きを読む
2005年08月18日
民宿を営む
メイン料理が課題 藤田宗幸(49歳) 大阪 → 大紀町 錦
民宿 ふじ田
三重県度会郡大紀町828−3
Tel. 0598-73-4500
Fax 0598-73-4501
E-mail: munemiki@ma.mctv.ne.jp

民宿のオヤジという感じはまだしない。奥さんもまだ女将さんって感じじゃない。たぶんきっとこれまで蓄積してきた職業上の匂いがとれていないのだ。(これは批判ではありませんよ。藤田さん、読んでくれてますか)
大阪のガス会社に勤めていた。サラリーマンだったのである。チヌ釣りが好きでよくこの辺に来ていた。そのうち釣った魚を自分で料理して、旅の人に食べてもらえたら、と考えるようになった。会社で人事異動があり、それを機に、どうせセクションが変わるのなら転職するのも同じだ、と思い、大きくなった子供は大阪に残して、夫婦だけの田舎暮らし+民宿に転職した。



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民宿 ふじ田
三重県度会郡大紀町828−3
Tel. 0598-73-4500
Fax 0598-73-4501
E-mail: munemiki@ma.mctv.ne.jp
民宿のオヤジという感じはまだしない。奥さんもまだ女将さんって感じじゃない。たぶんきっとこれまで蓄積してきた職業上の匂いがとれていないのだ。(これは批判ではありませんよ。藤田さん、読んでくれてますか)
大阪のガス会社に勤めていた。サラリーマンだったのである。チヌ釣りが好きでよくこの辺に来ていた。そのうち釣った魚を自分で料理して、旅の人に食べてもらえたら、と考えるようになった。会社で人事異動があり、それを機に、どうせセクションが変わるのなら転職するのも同じだ、と思い、大きくなった子供は大阪に残して、夫婦だけの田舎暮らし+民宿に転職した。
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2005年08月14日
決断したら万全の準備をする
決断したなら万全の準備をする
堺本昌行さん 70歳(道瀬) 東京麹町〜
伊勢市で生まれて育ち、中学を卒業してからはとにかく働いた。夜間高校、そして卒業後も大学へいくための資金を3年かけて貯め、立命館大学へ。学生時代も働きとおした。卒業後、まだ駆け出しの日本マーケティング研究所に入社した。大企業を相手にマーケティングのコンサルタント会社に成長した。役員になった。55歳の定年で辞めた。どこか海の近くで暮らしたいと思った。60歳になったらきっぱり仕事はせず、道楽をして暮らすことを決行しようと思い、残る5年間、週に3日は会社の嘱託として仕事をし、北アルプスなどの山に登り、東京農大の市民講座にでかけては菜園について学んだ。建設機械メーカーの教習所ユンボの使い方もおぼえた。どこかいいところはないかと土地を物色した。
名古屋に在住していた頃、この辺によく釣りに来ていた。錦から熊野までのところで海のそばによい土地はないか。
尾鷲不動産にあたってみた。すると、道瀬を紹介してくれた。遠浅の海である。右手には磯があり、前方には一級磯のある島が幾つもある。ここだ、と決めた。60歳だった。
平成7年の8月から勘定して10年になる。道瀬の人たちは優しかった。自治会の役員や防災会の会長も努めた。毎朝出かける喫茶店で土地の人々のいろいろな相談事にものるようになった。会社の作りかた、トラブルの解決、その道の元プロだったから地元の人は心強く思った。


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堺本昌行さん 70歳(道瀬) 東京麹町〜
伊勢市で生まれて育ち、中学を卒業してからはとにかく働いた。夜間高校、そして卒業後も大学へいくための資金を3年かけて貯め、立命館大学へ。学生時代も働きとおした。卒業後、まだ駆け出しの日本マーケティング研究所に入社した。大企業を相手にマーケティングのコンサルタント会社に成長した。役員になった。55歳の定年で辞めた。どこか海の近くで暮らしたいと思った。60歳になったらきっぱり仕事はせず、道楽をして暮らすことを決行しようと思い、残る5年間、週に3日は会社の嘱託として仕事をし、北アルプスなどの山に登り、東京農大の市民講座にでかけては菜園について学んだ。建設機械メーカーの教習所ユンボの使い方もおぼえた。どこかいいところはないかと土地を物色した。
名古屋に在住していた頃、この辺によく釣りに来ていた。錦から熊野までのところで海のそばによい土地はないか。
尾鷲不動産にあたってみた。すると、道瀬を紹介してくれた。遠浅の海である。右手には磯があり、前方には一級磯のある島が幾つもある。ここだ、と決めた。60歳だった。
平成7年の8月から勘定して10年になる。道瀬の人たちは優しかった。自治会の役員や防災会の会長も努めた。毎朝出かける喫茶店で土地の人々のいろいろな相談事にものるようになった。会社の作りかた、トラブルの解決、その道の元プロだったから地元の人は心強く思った。
2005年08月08日
一本釣師をめぐって 1
私には心強い中学相撲部の頃の先輩がいる。先輩・後輩という意識があるのは私にはこの相撲部の時の仲間だけである。身体と身体をぶつけあって、技を競った。その癖も互いによく知っていた。親和感がある。
「尾鷲で釣り師1本で生きていけるか」このことを聞くのに尾鷲漁協の市場で働く久保先輩に話を聞きに行ったのである。

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「尾鷲で釣り師1本で生きていけるか」このことを聞くのに尾鷲漁協の市場で働く久保先輩に話を聞きに行ったのである。
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2005年08月07日
一本釣師をめぐって 2
一本釣師になると決めたことだから
山崎林治(41歳) 名古屋→三木浦
実際の体験者から話が聞ける。ちょっと興奮した。久保さんところに来た甲斐があった。
久保さんはカツオを一本トロ箱に入れて、「これ持ってけよ。食べるやろ」と言い、その他所から来て三木浦に住んでいるという漁師が働いている作業場まで連れて行ってくれた。久保さんは、
「こいてはすぐにちってくほうやもんでの、約束もとらんとこないして来るんさ。まあそれもよいとこなんやけどの。ちょっと相手したってくれい」
と言って急ぐように帰って行った。もう5時で、港の活気はなく、その一日が終わり、船のエンジン音もない。
山崎林治(しげはる)という男(41歳)は頭に鉢巻をしていた。背も高い。「天井の青」で大久保清を演じた若い頃の佐藤浩市に似ている。精悍さがある。
急に来たことを詫びて、時間は大丈夫かと聞くと、「いいですよ」と言う。標準語である。おお、標準語の漁師かあ、見たことないなあ、と思いながら、
「漁師で飯食えてないからここでアルバイトしてるんだよね」
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山崎林治(41歳) 名古屋→三木浦
久保さんはカツオを一本トロ箱に入れて、「これ持ってけよ。食べるやろ」と言い、その他所から来て三木浦に住んでいるという漁師が働いている作業場まで連れて行ってくれた。久保さんは、
「こいてはすぐにちってくほうやもんでの、約束もとらんとこないして来るんさ。まあそれもよいとこなんやけどの。ちょっと相手したってくれい」
と言って急ぐように帰って行った。もう5時で、港の活気はなく、その一日が終わり、船のエンジン音もない。
山崎林治(しげはる)という男(41歳)は頭に鉢巻をしていた。背も高い。「天井の青」で大久保清を演じた若い頃の佐藤浩市に似ている。精悍さがある。
急に来たことを詫びて、時間は大丈夫かと聞くと、「いいですよ」と言う。標準語である。おお、標準語の漁師かあ、見たことないなあ、と思いながら、
「漁師で飯食えてないからここでアルバイトしてるんだよね」
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一本釣師をめぐって 3
アコウ鯛を狙う
この村の漁場で昔釣れていたアコウ鯛に目をつけた。今はアコウ鯛を釣る漁師がいないのだそうだ。地元の漁師はアコウ鯛に関する釣りの技術を知らない。必死になってアコウ鯛について調べた。アコウ鯛は春になると深場800メートルほどのところから600メートルくらいのところまで上ってくる。魚探で600メートルほどのタナを探す。何度も探りうぃ入れた。北西の風が吹き始めた頃、ようやく一匹が釣れた。そして毎日釣れ始めた。ようやく確信を得た。たまたま狙い続けた魚がヒットしたのだった。一本釣り師になって半年だった。嬉しいことに冬になってもそこで越冬するらしく、12月、1月、2月と順調に釣っ
た。120万円にもなった。ハリスを船下にまっすぐに下ろす技術が要る。道糸を斜めにすればハリスのほうになるとやや浮いてしまってポイントまで届かなくなる。しかも三木浦漁協の掟があって、海底に錨を打てないのである。釣り場を固定できないのである。帆を上げての流し釣りである。同じポイントに戻るにも技術がいる。風と潮の流れを見、絶えずヤマを立てながら、船を移動させる。釣りながらポイント、ポイントの線を誤ることなく船を操舵しなければならないのだ。
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この村の漁場で昔釣れていたアコウ鯛に目をつけた。今はアコウ鯛を釣る漁師がいないのだそうだ。地元の漁師はアコウ鯛に関する釣りの技術を知らない。必死になってアコウ鯛について調べた。アコウ鯛は春になると深場800メートルほどのところから600メートルくらいのところまで上ってくる。魚探で600メートルほどのタナを探す。何度も探りうぃ入れた。北西の風が吹き始めた頃、ようやく一匹が釣れた。そして毎日釣れ始めた。ようやく確信を得た。たまたま狙い続けた魚がヒットしたのだった。一本釣り師になって半年だった。嬉しいことに冬になってもそこで越冬するらしく、12月、1月、2月と順調に釣っ
た。120万円にもなった。ハリスを船下にまっすぐに下ろす技術が要る。道糸を斜めにすればハリスのほうになるとやや浮いてしまってポイントまで届かなくなる。しかも三木浦漁協の掟があって、海底に錨を打てないのである。釣り場を固定できないのである。帆を上げての流し釣りである。同じポイントに戻るにも技術がいる。風と潮の流れを見、絶えずヤマを立てながら、船を移動させる。釣りながらポイント、ポイントの線を誤ることなく船を操舵しなければならないのだ。
2005年08月06日
一本釣師をめぐって 最終
はっきりしている。決断をそう簡単に覆すのは嫌らしい。
「魚は赤物にこだわっているの?」
「そう。網でかかるのは釣っても安いし。イカもケンケンもやんない。底物のプロに
なりたいんだ」
「数寄屋橋次郎っていう寿司屋の主人が本に書いてたけど、そこでは鯛は使わないんだって。白身はヒラメらしい。明石の鯛が常時手に入らないから、と言っていた。これにはヒラメもかなわないって。この鯛には尾ひれの近くの骨にコブがあるらしい。それが明石の鯛だって。そしたら伊勢の鯛にもこぶ付の鯛がいるってことがわかったらしいよ。紀州の鯛でそんなのはいないのかな」
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「魚は赤物にこだわっているの?」
「そう。網でかかるのは釣っても安いし。イカもケンケンもやんない。底物のプロに
なりたいんだ」
「数寄屋橋次郎っていう寿司屋の主人が本に書いてたけど、そこでは鯛は使わないんだって。白身はヒラメらしい。明石の鯛が常時手に入らないから、と言っていた。これにはヒラメもかなわないって。この鯛には尾ひれの近くの骨にコブがあるらしい。それが明石の鯛だって。そしたら伊勢の鯛にもこぶ付の鯛がいるってことがわかったらしいよ。紀州の鯛でそんなのはいないのかな」
2005年07月27日
続く人のために 2 田舎暮らしの光と影
(前号からのつづき)
外れたことを言ってしまったのではないか、というこだわりがあった。
再度訪ねた。そしてまた次に今度は夜の夜景を見て、実際食べてみることにした。尾鷲不動産夫妻(72歳と67歳)と私たち夫婦である。事情は話してある。本当の感想をご主人と奥さんの前でも忌憚なく話すつもりだ。
さて美味しいのか。ややタレに酢が入っていると言っていた。
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再度訪ねた。そしてまた次に今度は夜の夜景を見て、実際食べてみることにした。尾鷲不動産夫妻(72歳と67歳)と私たち夫婦である。事情は話してある。本当の感想をご主人と奥さんの前でも忌憚なく話すつもりだ。
さて美味しいのか。ややタレに酢が入っていると言っていた。
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2005年07月26日
続く人のために 1 田舎暮らしの光と影
続く人のために 1 田舎暮らしの光と影
大川 義文さん(57歳)大阪出身

大阪で解体業を営んでいた大川さんは、大阪の景気が落ちこんだのを機に、紀伊長島に土地を買った。いずれ将来「田舎暮らし」をしてみたかったのである。
場所は紀伊長島の国道42号線沿いにある片上池の前。550坪。その土地の前で淡水魚が釣れる。チヌ、コハダ、アジまでも釣れるのである。この池は海に続いている。紀伊長島には船釣り、磯、砂浜、岸壁と釣りを楽しむなら場所に困らない。
公園が近くにあり、湖のような水面に鴨が浮かび、鳶が飛び交う風景。ここでのんびりと過ごしたいと思った。
しかし隠遁生活をするにはまだ若かった。「何か」をすることを考えた。を自分にできることは「建築物の解体」であり、「人の手配」と「見積書作成」である。
買っておいた土地の一部が県による買収対象となったのをきっかけに、焼肉店を開くことに決めた。「都会のざわざわしたところのほうが好きや」と言っていた父親も、「田舎暮らしなんて」と言っていた妻も説得した。
自宅を建設。そして焼肉店は自宅の隣にローンで建築した。12年のローンを組んだ。焼肉の調理法の修業のため、4ケ月、よく通っていた大阪の焼肉店で働いた。
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大川 義文さん(57歳)大阪出身
大阪で解体業を営んでいた大川さんは、大阪の景気が落ちこんだのを機に、紀伊長島に土地を買った。いずれ将来「田舎暮らし」をしてみたかったのである。
場所は紀伊長島の国道42号線沿いにある片上池の前。550坪。その土地の前で淡水魚が釣れる。チヌ、コハダ、アジまでも釣れるのである。この池は海に続いている。紀伊長島には船釣り、磯、砂浜、岸壁と釣りを楽しむなら場所に困らない。
公園が近くにあり、湖のような水面に鴨が浮かび、鳶が飛び交う風景。ここでのんびりと過ごしたいと思った。
しかし隠遁生活をするにはまだ若かった。「何か」をすることを考えた。を自分にできることは「建築物の解体」であり、「人の手配」と「見積書作成」である。
買っておいた土地の一部が県による買収対象となったのをきっかけに、焼肉店を開くことに決めた。「都会のざわざわしたところのほうが好きや」と言っていた父親も、「田舎暮らしなんて」と言っていた妻も説得した。
自宅を建設。そして焼肉店は自宅の隣にローンで建築した。12年のローンを組んだ。焼肉の調理法の修業のため、4ケ月、よく通っていた大阪の焼肉店で働いた。
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